2月14日。
広がる雲と、連なる山と、その間の空、それぞれ境界がくっきりとして印象的だった。しばし見とれた朝の景色。散歩を終え、家に戻ると、電話がなった。ああそうなんだと思った。
昨日から入院したひかりが今朝亡くなったとの知らせだった。2月のはじめ、心臓の病がわかって、一週間と少し、あまりに早く逝ってしまった。最後まで、看取ってあげられなかった事をただ悔やんでいる。
3年前の11月、家の裏でずっと猫が鳴いていると、妻が気がついて工場へ連れかえった。親猫も見当たらず、突然現れた子猫、病院でみてもらうとまだ生後一月くらいだった。
家にはあんこもいたので、すぐに飼うかどうかも決めきれず、草むらでついた虫を駆除するために一月ほどを工房の中で過ごした。まずいなあとは思いつつも、情が生まれるのはしかたなく、当たり前で、うちの子となった。
ひかりのいいところは時間がかかるところ、ゆっくりと、それでもちゃんとできるようになる。名前を覚えるのに始まり、気持ちを伝え合うこと、いろいろなことがなかなか難しかった。それでも、いつでも気の向くまま今を生きているそんな猫。幼さをいつまでも残す愛嬌のある子。
あんこを亡くしてから、一人っ子となり、だんだんと気持ちが通じるようになった。距離感がしだいに変わっていくのを楽しみに感じていた。撫でられることも嫌がらなくなり、膝へやってきたり、一緒に寝たり、ゆっくりとでも確かに習慣をつくってきた。(あんこがいつでも膝にいたので、我慢していることもあったのだなと感じたこともあった。)あんこを送って、開いた穴を埋めてくれたのはひかりだった。妻と二人、とてもすくわれたような思いだったとおもう。
あんこと暮らした日々をひかりがつないでくれたことが嬉しかった。いろんな習慣をちゃんと引き継いでいるようで、あんこのかけらといろんなところで出会えた。暮らしのなかであんこの影を感じるとき、そばにいるのもひかりだったのだ。
あんこを送ったとき、死とは生ききることなのだと、最後のその姿をみて思った。
ひかりも最後はきっとそうだったのだろう。少しは楽に逝くことができたかな、それだけを願っていた。もう近くまで来ていることが、なんとなくわかっていたから、やはり恐くて、かわいそうで、ちゃんと向き合えたのかなというおもいがある。いつもいつも真っ直ぐな気持ちをくれていたから、まだまだ返したい気持ちがあった。
病院に迎えに行き、もうここにはいないことがとても不思議で、嘘みたいだと思った。なんとなくどこかでみていてくれているかなと思うくらいに。
朝、工房に立ちいつも窓からの光を見上げる。ここに来てから一人で仕事をするようになって、今もずっと変わらず励まし続けられているものだ。これからも毎日見上げるこの光の中に、ひかりもいてくれるように思っている。黒猫から影、そして光と連想して名付けた名前。これからも励まし続けられるのだと思う。
なくすことはやはり恐くて、いつでも辛いものなのだろう。それでも家族でいられたこと、その日々はとても愛おしくて、何気なくて、しあわせだった。
ひーちゃんありがとう。一緒にいられてよかったよ。大好きだよ。
あんこと仲良くね。またね。
これからまた暮らしの中で、君たちのいろんなかけらと出会うのだろう。それはさみしくて、かなしくて、いとおしい。いろんな感情が入っているいろんなかけらと、ぽっかりと開いた穴とともにしばらくは生きていきたいと思った。