とじる

最終日の様子。

最終日は妻と一緒に久しぶりの在店となりました。コロナ禍となってからは一緒に展示の場へ出向くこともなくなり、僕の仕事の全体も見てもらうことからは離れていたので、個人的には嬉しい出来事でした。

昨日までで、ヒナタノオトさんでの「木の器に触れて」おかげさまで無事に終えることができました。

お心をお寄せくださった方々、ありがとうございました。在店時は皆さんじっくり向き合うようにご覧いただけたことが、ほんとうにあたたかいお気持ちを頂いたおもいでいました。

工房からの風を通じて知り合った作り手の方々も、展示を見たよとご連絡頂いたり、思いを率直に伝えて頂いたり、とても嬉しく、とてもありがたいことでした。そして僕もこんなふうにありたいと思いました。

またお会いできた方には、僕の取り留めのない話にも耳を傾けて頂いて、この籠もっていた3ヶ月分を取り戻したようにたくさん話してしまいました。失礼しました。

なんでもないものに込めた、素朴さや、美しさ、どこかに愛おしさも、そういうものが皆さんの暮らしの中でもさりげなく、日々の隙間に少しだけでも心ほどけたり、響いたり、そんな存在であってくれたらなあと願っています。

初めての個展、これまでで一番たくさんものをつくった機会でした。それでも効率みたいなことから離れようと、なるべく一つ一つをつくろうと思い挑みました。結果的にはそれが自分には合った作り方なのだと思います。木の節や割れを避けながら、木目の流れを見ながら合うかたちを探る。そこに何か偶然や必然性のようなものと出会うと嬉しくなります。

心にひっかからないことを、気持ちいいことをしたい。

しっくりくることを探したい、そう思います。

ここ数年は自分に合うやり方を探る、そういう期間だったのかなと思います。自分がどうしても手放せないこと、好きなことをすること、それはなんだか独りよがりなことのようにも感じます。でもそれは、場を作ってくださる方や、そのさきに使い手の方々がいてくれるからこそ、その機会に対してまっすぐ向き合えたのだなあと思っています。

展示のたびに、いつもいつも思いやあたたかな心遣いを頂いてばかりだと思うことが多くなり、何かをお返しできるような自分でありたいと思う年齢にもなってきました。なるべくいい循環をつくるためにも、(特別素敵じゃなくても)豊かに暮らすことや、一歩踏み出して出て行ってみる、動いてみることが必要な時がきているのかもしれません。それもこれもやはり自分の外から力を頂くことなんですよね。

これからの展示をまた楽しみに見にきて頂けるように、そんな自分であれるように、気持ちをあたためながら、また新たに向き合っていきたいと思います。

最後になりますが、ヒナタノオトの皆さんがほんとうに豊かな場をおつくりくださいましたこと、本当に感謝しております。ありがとうございました。

作り手と使い手と繋ぎ手とその存在をたしかに感じながら、ただものを手渡すだけではない場所。工房からの風からつながるこの場で、個展をすることができてとても幸せな時間でした。