在る

いつの間に梅雨に先を越された。しばらくは天気の様子を見ながら、散歩も、洗濯も、仕事も、何事も過ごさざるを得ない。

少し先を見て、日々の制作をまたはじめた。毎日コツコツやり続けることが、自分の作り方には必要なことだと思うけれど、ここからの時期は木工の仕事には難しい時期になる。なるべくじっくり、じっくりと進みたい。

あんこが居なくなり、ひかりもどこかさみしいのかなと感じることがある。仲良くはなかったけれど、面倒見が良い猫だったので、ひかりはあんこについてまわっていることが多かった。最期の日々も近くには来ないけれど、少し離れて様子を伺っていたので、よくよく分かっているんだなと思った。

ひかりは2歳半、成長が遅く、自分の名前すらなかなか覚えなかった。いつも衝動的で、感情に突き動かされて今を生きている。だっこも撫でられるのもあまり好きではない。そんな猫だったが、少し距離感が変わってきているのを感じる。すべてを預けてくれるような、無償の気持ちをくれるのだから、こちらもちゃんと応えていきたいなあ。

あんこが去った週末のこと、その日は遅くまで起きていて、たまたまnhkで谷川俊太郎さんのドキュメンタリーの再放送を観た。子供の自死を扱った絵本を作り上げていく過程の映像なのだけれど、観るのは3回目で毎回そうかあ〜と引っかかる言葉に突き当たるのだった。寝る前に妻と話していたら、お互いにそのなかの言葉に、あんこのことおもったよねと感じていた。

「今は意味偏重の世の中で、誰でもなんでも意味を見つけたがる、探したがる。でも意味より大事なのは、何かが存在すること。」

理由なんかなんでも良くて、ただ居てくれることがほんとに大きかったんだよねえと思う。

毎日触れるもの、目の前にあるもの。

木のなかにもそういう要素はたしかにあって、そういうものを見つめて、見つけていきたいと思った。