違和感を前に

早いもので4月になった。桜も盛りを過ぎたが、また寒さも戻り、季節は行ったり来たりして進んでいる。相変わらず、少し先の展示を見据え手を動かし続けている。

自己流のような感じではじめた器作りでも、いつの間にかあたりまえや、いつも通りは出来上がっているものだ。

ものが出来上がる時はそのいつも通りの工程や、やり方を踏んでものが出来上がっていく。

仕上がったと思って手を止めたはずのものが、何か引っ掛かった感じ、違和感のようなものを感じることもやはりよくあることだ。目の前の素材はいつも違っているのだから、それはあたりまえなのだけれど、なんとなく違うなあという感覚はけっこう確かなものだと思う。

しばらく眺めたり、時間をおいたりして、また違和感と向き合う時、普段とは少しだけ違うやり方になることがある。後々考えてみると、それは材料に添った方法だと気付けることがあって、そういう時はとても腑に落ちたような開けた気持ちになって、とても嬉しい。

素直な材料はいろんな形ややり方を、それぞれそれなりに受け入れてくれるし、難しい印象の材料ほどにいつも通りから外れたものを求められている気持ちになる。あたりまえのようでとても不思議なことだと思う。