企画展に向けて作ったものを箱に詰めて送り出す。
一つ肩の力が抜けた。だけど、落ち着かないような心持ちのなかにいる。
出来上がったものを見ながら振り返ると、肩の力が抜けたことで見えることや、感じることが増えたような気がした。懸命になるだけ、見えなくなったり、通り過ぎてしまうことがあってそれを感じた。
勤め人の妻も、最近は年度末が近づき、忙しく過ごしているようで、帰ってくると交わす会話には溜息が混じることもある。
年を重ねるごとに、諦めることに慣れたのを実感するのは、余裕がないときや、溜息がでるようなときなのだけれど、何かを諦めて、落とし込むように心を静めていくのも、どこかでささくれたものがあるのだと思う。
先日、野球界のレジェンド「ノムさん」が亡くなり、その後テレビや、ラジオでノムさんに触れる機会が多くなった。
代名詞のボヤキをサッチーは「愚痴ではないから聞いていても気にならないのよね。」って言っていたのだけれど、愚痴とボヤキは違うんだとハッとした。ユーモアと、諦めと、認めること、整理された気持ちが少し入っているのかなあと思った。考える人、愛情のある人なのだと思った。
日々を維持し、回していくには当たり前ではない、地道なことが必要で、それは余裕がないときは蔑ろにしてしまいがちだけれど、寧ろそれこそを大事に、少しだけ諦めて、前を向いて、足元を確かめ、自分の周りには心を配りたい。遠くや、大きなことには及ばずとも、目の前のことに懸命になりたいと思う。
今回の展示のDMの中に「心に灯し、照らす種のようなあたたかなもの」という言葉があった。秋の日に感じたことそのままだと思った。あの日に感じたことをものを作ることで循環していきたいと思ったのだけれど、少しでもかたちにできたのだろうか。
今回ご一緒する皆さんの、それぞれの灯りに触れ、照らされて、僕のほのかな灯りも誰かと、その人の日々を照らすものであってほしいと思う。