春の窓 ありがとうございました。

先週はカトラリーを黙々と作り続けた一週間でした。特に小さいものは目の前のことに集中できるので、気持ちを落ち着かせたい時はちょうど良いです。

昨日で伊勢丹新宿店での展示「ヒナタノオト 作り手と結ぶ庭 春の窓」がおかげさまで無事に会期を終えました。

お気持ちをお寄せくださりありがとうございました。

いつも感じることですが、個人的にしているものをつくることが、機会を創って頂いて、使う人のもとへ行くこと、誰かの喜びに繋がることはとても不思議なことだと思います。つくることやそのための時間は自分のためにやっていることのようにも思っているので尚更です。

つくったものを、一つ一つ手渡せたような感覚があったこと、使い手の方の暮らしや、節目、何かのタイミングにも触れられたような気がして、なんだかご褒美を頂いたような気持ちになりました。ありがとうございました。

その方の手元でその人のものになっていってくれたら本当に嬉しいです。

会期中世の中ではいろいろなことがありました。コロナ禍、戦争、3.11 どの出来事も世界が変わってしまうようにも感じる大きなことで、論理や理屈や正しいことなどはとうに超えてしまっている感じもあって、恐れや怒り、憎しみ、悲しみなど感情を動かすことしかできない。正直なかなか直視もできず、少し遠ざけているところもあります。

3.11の夜、いつも聴いている高橋源一郎さんのラジオで11年前の当時のこと、感じていたことを話していました。

混乱のなか、考えるためには書くことが必要だから書いていたこと、自分が無知であることを思い知ったこと、書いてはみたものの大きな言葉ではないなと思い、小説(小さい言葉)を書きたいと思ったこと。

そこには大きな言葉は多くの人に届くけど、小さな言葉(個人的なこと)はその人に届くものだと信じていて、それが自分のすることだというのが感じられて、なんか救われる思いでした。それで良いのだなあと思う言葉でした。

昨夜も寝る前に地震があり、こちらも長く揺れるなか何もできなくて、大きく揺れた地域を心配するしかなかった。11年前のこと、感じたことは、何かのたびに本当に何度も思い出します。

日常が壊れてしまうような状況に胸は痛むけれど、失ってしまった方々が日常を取り戻せることを、つくっていけることを、日常があり続けてくれることを願っています。

僕は僕の場所で日常を、一つ一つ、つくることを、大事に続けていきたいと思います。